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別のメンクリに行った話

前回のブログで書いた抗うつの薬は結局、副作用が苦手で飲み続ける気になれず、仕事に忙殺されている間に半年以上が経過していました。

その間、自分のキャパシティを超える量のマルチタスクっぷりに加えて、人との折衝、段取り等の苦手意識を感じる作業をこなすストレスで、再びメンクリのお世話になっています。

初診で、簡単に今困っていることと、薬は続けて飲むことが難しかったことをお伝えしたところ、まずはカウンセリングを受けてみましょうとなった。

1回目のカウンセリングでは、なにに困っているのか、どういう方向で解決したいのかをヒアリングされました。

根本の困りごととしては、自分に自信が無いことを挙げた。直近の困りごととしては、今の仕事の内容が自分の苦手な部分にハマってしまっていて辛いことを伝えた。

また、以前にQEEG検査やMRIを取ったことなどもお話しして、QEEGではASDADHD傾向あり、MRIは異常なしだったことなどを(なるべくあっけらかんとして)話していくと、カウンセラーから、まずは、性格分析などをして自分の特性や考え方のクセを理解しましょうと提案いただいた。

その上で、今の仕事が好きで続けたいなら、集中力をコントロールする訓練やタスク管理の改善、もしくは特性への配慮を会社に求める等の方法を考えるし、そうでないなら、自分の特性に合った仕事選びを一緒に考えましょう、とのことだった。

自分でも自分のことが理解出来ていない(もしくはうっすら分かっていてもそれを認めたくない)ことが、今の困りごとの原因だと思っているので、提案のとおり、自分の特性を理解していきながら、ゆくゆくは自分に合った働き方、生き方を決めていく方向でカウンセリングを続けることにしました。

 

たくさんの人と関わるのは苦手

世間のニュースにも興味がない

でも何かを作って生きていたい

 

そんな私が自分を壊さずに、経済的に自立して生きていくことが本当にできるのだろうか。

甘えているんじゃないか。

メンクリに行った話

月初にどうしようもなく気が滅入ってしまって、近くのメンクリの予約を取ったものの、当日になったら予約時ほどの落ち込みは無くなっていて、医者にかかるほどのことでは無いのかも...と迷いながら受診。

 

先生に日頃感じている仕事への不安や自分の能力への不信感をぽつりぽつりと伝えたら、発達障害ではなく、うつの症状で一時的にパフォーマンスが落ちている状況なのではないか?という結果だった(その場合うつを治さないと、発達障害かどうかの検査も出来ないらしい。自分の場合、幼少期に落ち着きがないと言われたり、忘れ物が多かった記憶があまりない(覚えてない)ので、発達障害では無い可能性が高いとのこと)。

治療としては、お薬を処方することと、認知行動療法を行うことができるとのこと。

今のメンタルで自分と向き合う気にもあまりなれず(問題の先延ばし...?)、まずは薬を飲んで様子を見ることにした。

 

トリンテリックス10mgを処方されて、早速夜に一錠飲んだ。翌朝は喉の渇きと悪心と頭痛が少しあったので、吐き気止めにもらったモサプリドクエン酸塩錠5mgを飲んだ。仕事は普通にこなせたと思う。

効果が出るまで2〜4週間かかるらしいので、まずは飲み続けてみようと思う。

 

QEEG検査をした話

物覚えが悪くなったような気がしたり、目の前の会話やコンテンツへの集中力が低下したのか、気付いたら他のことを考えてしまっていたり(その間の会話は全く聞こえていない状態)して、日常のコミュニケーションに少し不便さを感じ始めていたので、良い機会かと思い、QEEG検査を受けました。

 

結果は、「ADHD傾向あり、ASD傾向あり、不安特性あり」とのこと。TMS治療で改善が見込めるが、受ける受けないは本人の意思に任せるという。

 

結果を受けて、自分でもあるとしたらADHD傾向だよなぁと思っていたのでそこはすんなり受け入れられたけれど、ASDと不安特性については、もう少し時間をかけて理解していきたいと思いました。

TMS治療は高額で、即断できるほど裕福でもないので、しばらくは自分の傾向を理解して、どういう環境に身を置くべきなのかを考えることに時間を使いたいと思う。

 

ちなみに他にも(?)歯並びが悪かったり、ワキガだったりするので、生まれつきのクセが強すぎるんじゃないかって思ったら、ちょっとだけ泣けた。

読んだ本のはなし

図書館で目についた本を1冊読んで帰るというプチ勉強を続ければ1年後には今より賢い自分がいるんじゃないかと期待して、図書館に行った。

さらに、読んだ本について記録しておけば記憶が定着しやすくなるかもしれないし、文章力もましになるのでは?と期待して、ここに書き記しておこうと思う。

 

📕読んだ本

話す・聞く・考える「論理力の基本」トレーニング 小野田 博一 著 2021年7月

💭感想

「論理」と「論理的」の違いなどについて極端な例題をもとに一緒に考えながら話が進んでいくので楽しく読めた。論理的に話すとはどういうことか?という根本的な事柄について、改めて理解を深めることができる。

具体的な内容としては、結論と根拠がセットになっているものを「論理」と言い、「論理的」に話すにはそこに「理屈」や「もっともらしさ」が必要という話(だったと思う)。

論理の例として書かれていたのがほぼ小泉構文だったので、小泉構文は「論理」としては正しかったのかという気付きがあった。

↓論理の例(本書を参考に私が適当に作成)

私は人間だ。なぜなら私は人間だからである。

※人間である理由が詳述されていないので、論理的ではないが、論理としては正しい(はず)

 

さらに「反論(反証)」については、相手の結論を否定することと、その根拠が示されていることの2点が揃っている必要がある。

↓反論の例(〃)

あなたは人間ではない。なぜなら人間は100年前に絶滅したからである。

※理屈は破綻しているが反論としては正しい(はず)

 

なお、日本語の文章の教育は、論理が曖昧であり、結論のないものでも違和感なく受け止められがちであるが、世界基準から見るとそれは異様であるとのこと。

私は小学生の時には既に文章を書くことに苦手意識を持っていて、大学受験用の小論文対策でも、支離滅裂な事しか書けず、恥ずかしい思いばかりして、文章を書くことが本当に嫌いになっていった。その後の大学でも、卒業論文ではなく卒業制作で乗り切ったので、論理的な文章を書く訓練をした事がほぼ無い。

大人になってから仕事で報告書を書くようになってやっと、自分も文章を書ける人間なんだと思うことができて、苦手意識は和らいできている。

一方で、仕事外のところでは、自分の主張を決めて、その根拠を示すような書き方をするのは今も苦手なままだと感じる。自分の頭の中であっちこっちに飛んでいく思考を、ひとつの内容に留めて、じっくり深く考えるという過程が上手く出来ていないように思う。それもやり方を学びさせすれば克服できるのだろうか。出来たら良いな。

本の内容を全然活かせていない気がしますが、以上です。ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。

2年半ぶり2回目

引っ越ししたり転職したり色々と環境が変わってしまったけれど、相変わらず空っぽのままです。

ふとここの存在を思い出してログインしてみたら、何も更新することなく2年半が経過していることが判明して驚きました。ゾウ並みの時間感覚。

ただ相変わらず空っぽというのは本当で、生まれてこのかた、世の中への興味関心が薄すぎて(欲が足りないのかも、あるいは自意識過剰)、いつ?どこで?誰が?誰と?どうなった?といったような具体的な事実が全く記憶に定着しない人間であることを割と常に心のどこかで恥じながら、ひっそりと生活を続けてきました。

質の高いインプットの為にはアウトプットの場が必要らしいので、はてなブログを再開してみます。

次の更新が2年後にならない事を願いながら。

 

ブログ開設

いよいよ失うものも無くなった空っぽの量産型三十路女が(開き直って)やりたい事をやる為のプラットフォームになれば良いなと思う。

 

 できた事

はてなブログ開設

 

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